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レッキング・クルーの訃報相次ぐ
1960年代にBBのレコーディング・セッションに参加した、いわゆる"Wricking Crew"(破壊集団)と呼ばれたLA在住のスタジオ・ミュージシャンも、現在は多くが70歳を越え、鬼籍に入る人が出てきている。

Al De Lory
Al De Lory (Jan. 31, 1930 - Feb. 5, 2012 写真は1960年代撮影)
2月5日には元キャピトルのA&Rマンで、アレンジャー、ピアニストのアル・デ・ローリーが82歳で亡くなった。12日の第54回グラミー賞授賞式にて、グレン・キャンベルの妻キムが明かした。死因は非公表。
スタジオ・ミュージシャンであった父親からピアノを習い、陸軍で軍楽隊のアレンジを行い、除隊後はスタジオ・ミュージシャンやクラブ・ピアニストなどとして活動。ラリー・ヴァーンのノベルティ・ヒット"Mr. Custer"はデ・ローリーが50年代後期に作曲した曲である。
60年代に入ってからはLAでフィル・スペクター関連のセッションに参加するようになる。スペクターがプロデュースしたCRYSTALS"He's A Rebel"の印象的なピアノは彼のプレイだ。その後キャピトルとA&Rエグゼクティヴとして関わり、BBにも関わるようになる。代表的なところでは"California Girls"のオルガン・プレイが挙げられる。とりわけエンディング前のソロは、デ・ローリーにとって最も忘れられないプレイだという。"Good Vibrations"ではブライアンのピアノ・プレイに対する実験に関心を持ち、弦をクリップで留めてハープシコードのような音にしたタック・ピアノなどを好んで弾いた。
1967年以後はレッキング・クルー仲間であったグレン・キャンベルのレコーディングにプロデューサー、アレンジャーとして関わり、"By The Time I Get To Phoenix" "Wichita Lineman"といったグラミー受賞曲をはじめとしたヒット曲を次々と生み、グレンのライヴ・バンドにもキーボードで常に加わっていた。
娘のドナ・デ・ローリーは多くのアーティストのセッションにバッキング・ヴォーカルで参加するミュージシャンとなり、特にマドンナのツアーには1987年から2006年までバッキング・ヴォーカリスト、ダンサーとして参加していた。

Billy Strange
Billy Strange (September 29, 1930 ‐ February 22, 2012 写真は1970年撮影)

2月22日にはビリー・ストレンジが81歳で亡くなった。死因は非公表。
1930年、カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。1950年代前半より裏表両面こなせるギタリストとして活動。VENTURESなどのレコーディングにサポートで加わった他、自身名義のギター・インスト・アルバムを数多くリリースしている。
BBには“Surfin' USA”より関わったという説があるが、同曲のセッションシートには記載されていない(余談ながら、同曲のドラムスは長年ハル・ブレインと言われていて、本人もそう主張していたが、実際はFrank DeVitoなる人物のプレイだそうだ)。しかし、特に1965~66年頃のセッションではほとんど筆頭リード・ギター担当と呼べる活躍をしている。“Sloop John B.”はブライアンの要請でフェンダー・エレクトリック12弦を買い与えられてプレイしており、“Pet Sounds”タイトル曲では彼のメイン・ギターであるフェンダー・ジャガー(写真参照)をハモンド・オルガン用のレズリー・スピーカーに通して印象的なリード・ギターをプレイしている。
ストレンジはナンシー・シナトラのアレンジャーとしても活動し、とりわけヒット曲“These Boots Are Made For Walkin'”のイントロなどの下降ベース・ラインや、007シリーズの同名映画の主題曲となった“You Only Live Twice”(「007は二度死ぬ」)シングル・ヴァージョンのギター・リフなどが印象的である。またマック・デイヴィスと組んで、エルヴィス・プレスリーの“A Little Less Conversation”(2002年に Junkie XLがリミックスしてリヴァイヴァル・ヒットとなった)などの映画挿入曲を作っている。

Mike Melvoin
Mike Melvoin (May 10, 1937 – February 22, 2012 写真は2000年代撮影)

ストレンジと同じ22日には、ピアニストのマイク・メルヴォワンも亡くなった。享年74。
1961年よりジャズ・ピアニストとしての活動を始めており、プロ・ミュージシャンとしてのキャリアはBBとほぼ同期である。自身名義のジャズ・アルバムを1966~2006年の40年間に11作リリースしている。その他セッション参加も多く、BBでは代表的なところとして“Good Vibrations”のセッションにピアノ、オルガンで名を連ねている。
なお、長女のウェンディは、1984年にWENDY&LISAとしてデビューし、1980年代にプリンス・ファミリーの一員として活躍した。
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2012-02-26 (Sun) | 記事URL | Friends | 
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