BBファンも注目すべきアメリカ編集盤 "The Beatles' Story"
The Beatles' Story
BEATLESのアメリカ編集盤BOX"THE U.S. BOX”が1月21日にUNIVERSALよりUS発売、日本でも1月29日に発売となるが、BEACH BOYSマニアにも是非注目してほしい盤がある。それがこの"THE BEATLES' STORY (A Narrative & Musical Biography of Beatlemania)"だ。
何と言ってもプロデュースがゲイリー・アッシャーとロジャー・クリスチャンの共同であり、1964年当時ハリウッドのラジオ局KFWBのDJとして活躍していたロジャーの肉声ナレーションが聴けるのが貴重だ。
なお、"THE U.S. BOX”からの単体売りもあるが、現在のところ、このアルバムのみバラ売りは予定されていない。

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2014-01-26 (Sun) | 記事URL | Friends | COM(0) | TB(0) | 
アネット・フニチェロ死去

アネット・フニチェロ(US発音に準じて表記)とBBの共演作として最も有名な“The Monkey's Uncle”。契約の関係でアネットのアルバムのみに収録されている。


1963年撮影・公開の主演映画“Beach Party”予告編。この映画にブライアンとゲイリー・アッシャーはエキストラとして随所に登場している。


続く“Muscle Beach Party”で、ブライアンは“Car Crazy Cutie”の替え歌のようなタイトル曲など、全3曲をゲイリー・アッシャーと共作して提供。


アネットのBBカヴァーアルバムとして最重要な“Golden Surfin' Hits”。“The Monkey's Uncle”を含む。BBのカヴァーは歌詞が女性視点に変えられている。

楽天WOMANより

「パイナップル・プリンセス」のオリジナル版歌手として知られるアネット・ファニセロさんが死去した。ディズニーのオフィシャルファンクラブが発表した。70歳。
 後にブリトニー・スピアーズやジャスティン・ティンバーレイクといった人気歌手を生み出した子ども番組「ミッキーマウス・クラブ」の草創期メンバーとして知られるアネットさんは、いわば元祖ディズニーアイドルとでもいうべき存在。アイドルとして女優業や歌手業にも進出し、日本では田代みどりがカバーした楽曲「パイナップル・プリンセス」のオリジナルを歌ったことでも知られている。
 女優としては『ボクはむく犬』『おもちゃの王国』といったディズニー映画に出演した後、1964年の青春コメディー映画『やめないで!もっと』から始まる『ムキムキ・ビーチ』『ビキニ・ビーチ』などのシリーズでブレイクした。1992年にはディズニー・レジェンドを受賞している。
 また、アネットさんは1992年、多発性硬化症を患っていることを公表。2004年には歩行することができなくなり、2009年にはしゃべることすらできなくなっていたという。(編集部・福田麗)

女性自身より

1955年から1996年まで放映されたディズニーの子供向け番組「The Mickey Mouse Club(ミッキーマウス・クラブ)」の初代メンバー、アネット・ファニセロが死去したと複数のメディアが報じている。70歳だった。

日本ではあまり馴染みのない名前かもしれないが、田代みどりの「パイナップルプリンセス」のカバー元と聞けばピンと来る人も多いのではないだろうか。

「The Mickey Mouse Club」をきっかけにブレイクしたセレブは多い。ブリトニー・スピアーズ、ジャスティン・ティンバーレイク、クリスティーナ・アギレラ、意外なところではライアン・ゴズリングもこの番組出身だ。

ファニセロは12歳のときに「The Mickey Mouse Club」のダンスチームであるMousketeersの初代一員として抜擢され、瞬く間に全米で愛されるティーン・アイドルとなった。番組卒業後はソロアーティストや映画女優として活躍。結婚、出産による活動休止を経て80年代に復帰したものの、脳や脊髄などの中枢神経が炎症を起こす難病「多発性硬化症」を発症し、その後約25年にも渡って闘病生活を送ることになる。

訃報に際し、米ウォルト・ディズニー・カンパニーのボブ・アイガーCEOは「アネットは昔も今も、そしてこれからもずっと、ディズニーファミリーの大切な一員です。彼女はウォルト・ディズニーの最も光り輝く星として、永遠に私たちの心の中に生き続けるでしょう」とコメントしている。
2013-04-14 (Sun) | 記事URL | Friends | COM(0) | TB(0) | 
名プロデューサー、フィル・ラモーン死去
Phil Ramone

時事通信ドット・コムより

フィル・ラモーン氏死去=米音楽プロデューサー
 フィル・ラモーン氏(米音楽プロデューサー)30日、ニューヨークで死去、72歳。ビルボード誌によると、大動脈瘤(りゅう)のため入院していた。
 南アフリカ出身。58年にレコーディングスタジオ「A&R」を立ち上げ、ポール・サイモン、ポール・マッカートニー、バーブラ・ストライサンドらのヒット曲を手掛けた。グラミー賞受賞は14回に及ぶ。
 革新的な技術を活用したことで知られ、世界初のCDとして発売されたビリー・ジョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」をプロデュースしたほか、初のポピュラー音楽DVDにも携わった。(ニューヨークAFP時事)。(2013/03/31-08:54)

※その他の経歴についてはフィル・ラモーンの公式サイトを参照してください。
BEACH BOYSとの関わりとしては、ブライアン・ウィルソンとバート・バカラックの共作“What Love Can Do”とブライアンのソロによる“God Only Knows”の再録ヴァージョンを含む、2007年にリリースされたコンピレーションCD“New Music From An Old Friend”(09年に曲順などを改めて“What Love Can Do”として再発)をプロデュースしています。
ソフト・ロック・ファンにはFREE DESIGNのエンジニアとして、クリアな音像を創造したことで知られていますね。

What Love Can DoWhat Love Can Do
(2009/08/04)
Various Artists

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2013-03-31 (Sun) | 記事URL | Friends | COM(0) | TB(0) | 
音楽ライターのポール・ウィリアムス(Paul Williams)死去
Paul Williams

U~T San Diego より

ブライアン・ウィルソンのコメント(facebookより)
「ポール・ウィリアムスは“SMILE”制作中に僕の家に来た少年だった。僕らはたくさん話して、新曲のアセテートを聴かせてあげた。彼が本当にそれを気に入ってくれたのが忘れられない。それから彼は“Crawdaddy”を創刊して、素晴らしい本をたくさん書いた。ポールが今週亡くなったことで、僕は彼の家族にお悔やみの言葉を述べたい。
Love and Mercy ブライアン」

ウィキペディア日本版より

ポール・ウィリアムズ (音楽評論家)

ポール・ウィリアムズ(Paul Williams, 1948年5月19日 - 2013年3月27日 )は、アメリカ合衆国のジャーナリスト、ライター。フォーク歌手の金延幸子は最初の妻。アンチ・フォークの歌手シンディ・リー・ベリーヒルは、三番目の結婚相手で現在の妻。
ボストン生まれ。まだ17歳だった1966年に、世界初のロック評論誌「クロウダディ!」を創刊。「ロック評論の父」と呼ばれる。
1972年に来日。細野晴臣プロデュースの「み空」でデビュー前のシンガー金延幸子と知り合い、結婚。二児をもうけるが、のち離婚。
また、SFファンでもあり、生前から親交があったSF作家フィリップ・K・ディックの著作権管理人だったこともある。「フィリップ・K・ディック協会」の機関紙の編集者や、ディック短編全集の編者などをつとめた。他にシオドア・スタージョン短編全集の編者も担当。
1995年の自転車事故で脳挫傷を受け、また、若年性認知症の発症で、長年フルタイムの介助が必要な状態であった。

【翻訳された著書】

『アウトロー・ブルース』室矢憲治訳 晶文社、 1972年
『ニューヨーク・ブルース』真崎義博訳 音楽之友社、 1975年
『ボブ・ディラン ひと粒の砂にさえも』三浦久訳 プレイガイドジャーナル社、 1981年11月
『フィリップ・K・ディックの世界 消える現実』小川隆、大場正明訳 ペヨトル工房、1991年6月
『ボブ・ディラン 瞬間(とき)の轍 <1> 1960-1973』菅野彰子訳 音楽之友社、 1992年3月
『ダス・エナーギ 精神のエネルギー経済学』Moko訳 春秋社、 1992年4月
『ボブ・ディラン 瞬間(とき)の轍 <2> 1974-1986』菅野彰子訳 音楽之友社、1993年4月
『ロックンロ-ル・ベスト100シングル』菅野彰子訳 音楽之友社、1995年4月
『ブライアン・ウィルスンそしてビーチ・ボーイズ』五十嵐正訳、ブルース・インターアクションズ 2000年8月

※後進に多大な影響を与えた偉大なロック・ライターが亡くなりました。安らかにお眠りください。
『ブライアン・ウィルスンそしてビーチ・ボーイズ』は自動翻訳丸出しの酷い翻訳だったので、是非翻訳をやり直してほしいものです。
2013-03-31 (Sun) | 記事URL | Friends | COM(0) | TB(0) | 
エレクトロ・テルミンの発明者、ポール・タナー死去
Paul Tanner
"I Just Wasn't Made For These Times" "Wild Honey" そして“Good Vibrations”で印象的な電子音を響かせたエレクトロ・テルミンの発明者かつ奏者であった、ポール・タナー(Paul Tanner)が2月5日に肺炎のため亡くなった。享年95。

タナーは1938~42年、グレン・ミラーが健在だった頃に結成されたオリジナル・グレン・ミラー・オーケストラのトロンボーン奏者であった。また最後まで健在だったメンバーでもあった。
脱退後はハリウッドでスタジオ・ミュージシャンとして活動。50年代よりUCLAで学んで教授に就任し、ジャズの理論を教え、ジャズ理論の指導書も書いている。
UCLA在学中にテルミンに出会って興味を持つが、その音程の不安定さに辟易した彼は、電気技師のボブ・ホイットセル(Bob Whitsell)と共に、その欠点を克服した新たな電子楽器の開発に携わる。それがエレクトロ・テルミン(当初の開発名はPaul's Box)であった。

Electro Theremin
タナーが製作したエレクトロ・テルミン。スライドの部分をタナーは「キーボード」と呼んだ。

エレクトロ・テルミンは1958年より"Music for Heavenly Bodies" "Music From Outer Space" LPやTVシリーズ"My Favorite Martian"に使用され、その独特なサウンドで人々を魅了したが、その中のひとりがブライアン・ウィルソンであった。ブライアンは66年2月14日に“I Just Wasn't Made For These Times”のセッションにて、タナー自身をゴールド・スター・スタジオに呼んで演奏させた。タナーはその日までBBの名を知らなかったが、ブライアンには気に入られ、その後も16日の“Good Vibrations”と67年9月27日の“Wild Honey”のセッションに呼ばれた。

RIP

2013-02-10 (Sun) | 記事URL | Friends | COM(0) | TB(0) | 
“Sail On Sailor”などの共作者、タンディン・アルマー死去
THE ASSOCIATIONのヒット曲“Along Comes Mary”の作者として知られるソングライターで、ブライアンとも“You Need A Mess Of Help To Stand Alone”“Marcella”“Sail On Sailor”を共作したタンディン・アルマーが、1月8日に亡くなった。享年70。

1942年7月30日、ミネソタ州ヘネピン郡生まれ。LA市立大学卒。1977年にワシントンDCに移住。人口上位2%の知能指数 (IQ) を有する者しか入会できない非営利団体、メンサの会員でもあった。

彼については1967年にCBS-TVが放映した“Inside Pop: The Rock Revolution”に、ブライアンらと共に取り上げられたという。

彼のソロ名義での公式リリースは1969年のシングル "Degeneration Gap"のみだが、“Along Comes Mary”の自演版など多くの未発表録音を残しており、SundazedよりCD発売される予定がある。

RIP

Tandyn Almer
2013-01-19 (Sat) | 記事URL | Friends | COM(0) | TB(0) | 
ジョー・トーマスについて
Joe Thomas

from Wikipedia (多少加筆してあります)

ジョー・トーマスは、音楽・映像分野で25年以上の経験を持つアメリカのプロデューサー・ディレクターである。
1980年代にRIVER NORTH RECORDERSを設立、ビリー・アイドルの"Mony Mony"を録音した。当時そこはシカゴで最大のレコーディング設備であった。他にはポール・マッカートニーの90年作のライヴ盤“Trippin' The Light Fantastic” と、エルトン・ジョンのトリビュート・アルバム“Two Rooms”もそのスタジオや機材で録音された。
1991年までに、トーマスはRIVER NORTH RECORDERSの他、ポリグラムの子会社PLATINUM ENTERTAINMENTの社長になっていた。PLATINUMの社長として、トーマスは、BEACH BOYS、ピーター·セテラ、ウィリー·ネルソン、トビー·キース、アラン·パーソンズを手がけて成功した。INC.MAGAZINEによると、同社は1996年に最も急成長した会社の一つであったという。同社は1997年に株式公開した。
トーマスは1997年初めに同社を去り、その後2年間をブライアン・ウィルソンと共同制作のために費やし、アーヴィング・エイゾフの運営するGIANT RECORDSと契約し、アルバム"IMAGINATION"を発表。99年から始まったブライアンのソロ・ツアー序盤の音楽監督を務めたが、7月の日本公演直前にトラブルのため離脱した。

トーマスは2000年に映像分野に進出し、ベテランのシカゴ在住のテレビジャーナリストのビル・カーティスとKurtis HD Partnersを設立。A&E、PBS、NBCなどのTVネットワーク向けに高解像度のハードニュースドキュメンタリーを制作。 Kurtis HD Partnersは成功を納めたが、トーマスの興味は依然エンターテイメントにあり、その高解像度技術を音楽産業で活用できないかと考え、HD Ready, LLCを設立した。
HD Ready, LLCを2001年に発足させて以来、トーマスは現在まで7シーズン、100エピソード以上を数えるPBSの音楽番組"Soundstage"の監督と制作を務め、絶賛を浴びている。これまでにジョン·メイヤー、BBキング、ケニー·チェズニー、FLEETWOOD MAC、トム·ペティ、HEART、ジョン·フォガティ、COUNTING CROWES、ジョシュ·グローバン、ジュエル、ロバート·プラントらのエピソードが制作されてきた。

さらに、トーマスは大ヒットしたライブ·パフォーマンスDVDのいくつかを制作・監督している。Fleetwood Macの" Live in Boston"は『ビルボード』誌のチャートで初登場2位を記録した。Tom Petty and the Heartbreakersの"Live from Gatorville"はプラチナ・ディスクを記録し、その一部はPeter Bogdanovichが制作したドキュメンタリー番組"Runnin' Down A Dream: Tom Petty and the Heartbreakers A Film"で使用され、Sundance Film Festivalで上映された。トーマスが監督し、HD Readyが制作した"Dave Matthews Band: Weekend on the Rocks"は、コロラド州のRed Rocks Amphitheaterで4夜に渡って行われたライヴを編集したもので、2005年で最も売れたロックDVDの1つとなった。
トーマスは2007年11月に放映されたA&Eネットはワークの音楽番組"A&E Rocks"にてBON JOVIを取り上げた。同月に発売されたその全長版DVD"Bon Jovi Lost Highway:The Concert"は、2008年4月にプラチナ・セールスを記録した。
2008年のサンクスギビング・デイ(11月第4木曜)に放映されたフェイス・ヒルの特番"Joy to the World"も監督・制作している。
2009年3月、スティービー·ニックスはジョー・トーマス、ワディ・ワクテルとの共同制作・監督によるアルバム"The Soundstage Sessions" と、DVD"Live in Chicago" をリリースした。
トーマスは彼の会社HD Readyにて、述べ113時間以上ものTV番組を制作・監督し、PBS, Palladia, CMT, Rave HD, GACで放映してきた。彼の制作してきた番組は、海外20以上の国々で放映・発売されている。
2012-06-10 (Sun) | 記事URL | Friends | 
BEACH BOYS日本公演のゲストはAMERICA!!

America and Brian

AMERICAとブライアン。左がデューイ・バネル、右がジェリー・ベックリー。
2010年、ブライアンのシドニー公演のバックステージにて。

AMERICA
OFFICIAL SITE / LABEL SITE

デューイ・バネル(英)、ジェリー・ベックリー(米)、 ダン・ピーク(米)の3人の若者がロンドンで出会い、結成、70年代ウエスト・コースト・ロック・ブームの最中、美しいハーモニーと爽快感溢れるアコースティック・サウンドでヒット曲を連発し、人気グループとなる。
デビュー曲「名前のない馬」(全米1位、全英1位)が1972年に世界中で大ヒット、ミリオン・セラーを記録し、グラミー賞最優秀新人賞を受賞。
その後も70年代~80年代にかけて、「ヴェンチュラ・ハイウェイ」(8位)、「アイ・ニード・ユー」(9位)、「魔法のロボット(ティン・マン)」(4位)、「ロンリー・ピープル」(5位)、「金色の髪の少女(シスター・ゴールデン・ヘアー)」(1位)、「ひなぎくのジェーン(デイジー・ジェーン)」(20位)、「風のマジック(ユー・キャン・ドゥ・マジック)」(8位)等の多くのヒット曲を送り出した。
1977年にダン・ピークが脱退(2011年に他界)した後も精力的なコンサート、レコーディング活動を続け、2007年にはアダム・シュレシンジャー(ファウンテン・オブ・ウェイン)、ジェイムズ・イーハ(スマッシング・パンプキンズ)のプロデュースによる『ヒアー&ナウ』(ソニー)をリリース、話題を集めた。スタジオ最新作は『Back Pages』(2011年)。

 今回、ビーチ・ボーイズ50周年コンサートのゲストに決まったアメリカ(ジェリー・ベックリー、デューイ・バネル)は、70年代~80年代にビーチ・ボーイズのオープニング・アクトを度々務めている旧知の音楽仲間。ジェリー・ベックリーは、ビーチ・ボーイズ1973/75年のヒット曲「セイル・オン・セイラー」(アルバム『オラン ダ』収録)にヴォーカル参加、アル・ジャーディン唯一のソロ・アルバム『ポストカード・フロム・カリフォルニア』(2010年)には、アメリカのふたりが揃って参加してもいる。一方、アメリカの『ハットトリック』(1973年)にカール・ウィルソンとブルース・ジョンストンがコーラス参加、その後も度々、アメリカのレコーディングに参 加していたカールは、遂にはジェリー・ベックリー、シカゴのロバート・ラムと共にベックリー・ラム・ウィルソンを結成、アルバム1枚を残している。
 40年にも及ぶ音楽的交流の歴史を持つ、ビーチ・ボーイズとアメリカが日本でのみ、同じステージに立つという奇跡。偉大なるアメリカン・バンド、ビーチ・ボーイズ結成50周年の祝祭に花を添える、これ以上ない、最高のゲストと言っていいだろう。
この夏、世界中の音楽ファンが注目し、嫉妬する、まさに夢のようなコンサートが日本で実現する!
そしてそれは、永遠に語り継がれる伝説のコンサートとなるだろう。

※ジェリーは1968年にイギリスに移住後、ツアーで来英したBBの追っかけをしてカールと知り合ったそうです。
カールは多くのAMERICAの楽曲にバッキング・ヴォーカルで参加していますが、1994年作のアルバム"HOURGLASS"で、カールは"Garden Of Peace"リード・ヴォーカルの一部を取ったりして、脱退したダン・ピークに代わる3人目のAMERICAといえる活躍をしています。
2012-05-20 (Sun) | 記事URL | Friends | 
レッキング・クルーの訃報相次ぐ
1960年代にBBのレコーディング・セッションに参加した、いわゆる"Wricking Crew"(破壊集団)と呼ばれたLA在住のスタジオ・ミュージシャンも、現在は多くが70歳を越え、鬼籍に入る人が出てきている。

Al De Lory
Al De Lory (Jan. 31, 1930 - Feb. 5, 2012 写真は1960年代撮影)
2月5日には元キャピトルのA&Rマンで、アレンジャー、ピアニストのアル・デ・ローリーが82歳で亡くなった。12日の第54回グラミー賞授賞式にて、グレン・キャンベルの妻キムが明かした。死因は非公表。
スタジオ・ミュージシャンであった父親からピアノを習い、陸軍で軍楽隊のアレンジを行い、除隊後はスタジオ・ミュージシャンやクラブ・ピアニストなどとして活動。ラリー・ヴァーンのノベルティ・ヒット"Mr. Custer"はデ・ローリーが50年代後期に作曲した曲である。
60年代に入ってからはLAでフィル・スペクター関連のセッションに参加するようになる。スペクターがプロデュースしたCRYSTALS"He's A Rebel"の印象的なピアノは彼のプレイだ。その後キャピトルとA&Rエグゼクティヴとして関わり、BBにも関わるようになる。代表的なところでは"California Girls"のオルガン・プレイが挙げられる。とりわけエンディング前のソロは、デ・ローリーにとって最も忘れられないプレイだという。"Good Vibrations"ではブライアンのピアノ・プレイに対する実験に関心を持ち、弦をクリップで留めてハープシコードのような音にしたタック・ピアノなどを好んで弾いた。
1967年以後はレッキング・クルー仲間であったグレン・キャンベルのレコーディングにプロデューサー、アレンジャーとして関わり、"By The Time I Get To Phoenix" "Wichita Lineman"といったグラミー受賞曲をはじめとしたヒット曲を次々と生み、グレンのライヴ・バンドにもキーボードで常に加わっていた。
娘のドナ・デ・ローリーは多くのアーティストのセッションにバッキング・ヴォーカルで参加するミュージシャンとなり、特にマドンナのツアーには1987年から2006年までバッキング・ヴォーカリスト、ダンサーとして参加していた。

Billy Strange
Billy Strange (September 29, 1930 ‐ February 22, 2012 写真は1970年撮影)

2月22日にはビリー・ストレンジが81歳で亡くなった。死因は非公表。
1930年、カリフォルニア州ロングビーチ生まれ。1950年代前半より裏表両面こなせるギタリストとして活動。VENTURESなどのレコーディングにサポートで加わった他、自身名義のギター・インスト・アルバムを数多くリリースしている。
BBには“Surfin' USA”より関わったという説があるが、同曲のセッションシートには記載されていない(余談ながら、同曲のドラムスは長年ハル・ブレインと言われていて、本人もそう主張していたが、実際はFrank DeVitoなる人物のプレイだそうだ)。しかし、特に1965~66年頃のセッションではほとんど筆頭リード・ギター担当と呼べる活躍をしている。“Sloop John B.”はブライアンの要請でフェンダー・エレクトリック12弦を買い与えられてプレイしており、“Pet Sounds”タイトル曲では彼のメイン・ギターであるフェンダー・ジャガー(写真参照)をハモンド・オルガン用のレズリー・スピーカーに通して印象的なリード・ギターをプレイしている。
ストレンジはナンシー・シナトラのアレンジャーとしても活動し、とりわけヒット曲“These Boots Are Made For Walkin'”のイントロなどの下降ベース・ラインや、007シリーズの同名映画の主題曲となった“You Only Live Twice”(「007は二度死ぬ」)シングル・ヴァージョンのギター・リフなどが印象的である。またマック・デイヴィスと組んで、エルヴィス・プレスリーの“A Little Less Conversation”(2002年に Junkie XLがリミックスしてリヴァイヴァル・ヒットとなった)などの映画挿入曲を作っている。

Mike Melvoin
Mike Melvoin (May 10, 1937 – February 22, 2012 写真は2000年代撮影)

ストレンジと同じ22日には、ピアニストのマイク・メルヴォワンも亡くなった。享年74。
1961年よりジャズ・ピアニストとしての活動を始めており、プロ・ミュージシャンとしてのキャリアはBBとほぼ同期である。自身名義のジャズ・アルバムを1966~2006年の40年間に11作リリースしている。その他セッション参加も多く、BBでは代表的なところとして“Good Vibrations”のセッションにピアノ、オルガンで名を連ねている。
なお、長女のウェンディは、1984年にWENDY&LISAとしてデビューし、1980年代にプリンス・ファミリーの一員として活躍した。
2012-02-26 (Sun) | 記事URL | Friends | 
ブルース&テリー参加のドリス・デイの新作アルバム"MY HEART"発売
MyHeart1
MyHeart2
テリー・メルチャーの母親として知られるアメリカの有名な女性歌手、ドリス・デイ(本名Doris Mary Ann von Keppelhoff 1924年['22年説あり]4月3日生)の新作アルバム"MY HEART"が、ドイツのSONYから9月2日に発売された。
アメリカでは9月13日発売。US価格はAmazon.comによると$19.31。

1. Hurry, It's Lovely Up Here
2. Daydream
3. The Way I Dreamed It
4. Heaven Tonight
5. My One And Only Love (Doris Day & André Previn with the André Previn Trio)
6. My Heart
7. You Are So Beautiful
8. Life Is Just A Bowl Of Cherries
9. Disney Girls
10. My Buddy (Doris Day with Paul Weston and his Orchestra)
11. Happy Endings (Terry Melcher, Doris Day:introduction)
12. Ohio (Orchestra conducted by Axel Stordahl)

本作は2004年11月19日に皮膚がんのため先立った長男テリーの生前から、主に彼とブルースのプロデュースにより長年かけて少しずつ録音されてきたもので、ブルース作による9.11.を含んでいる。
11.は共作者であるテリーがリード・ヴォーカルで、ドリスはイントロに語りを入れている。
EQUINOX PRODUCTIONの流れを汲む本作は、ブルース&テリーのファンには必携のアイテムであろう。
2011-09-03 (Sat) | 記事URL | Friends | 
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